料理を続ける中で、「料理人かくあるべき」という考えが少しずつ自分の中に構築されてきたと思う。それを一旦まとめてみる。筆者はまだ十分な経験を積んでいない初級者に過ぎず、「料理人」と名乗るだけでもあまりにもおこがましいし、このアイデアは煮詰まったものでもない。今後、さらに経験を積む上でどんどん変化していくものと思う。それでも、記録的な意味で自分の役に立つとは思うので記述しておく。
まずは料理人の心構え。
- 「料理をする人」は、家庭を食の側面から支えるマネージャーである
運転する人が、同乗者を事故から守る責任を持っているように、料理する人は、料理を食べてくれる人の健康を守る責任を持っている。ゆめゆめ「作って終わり」などと勘違いすることなかれ。 - 料理を食べてくれる人は、その人の貴重な食事の機会を、自分の料理のために提供してくれる人である
「作ってあげている」などという上から目線で料理している人がいるかもしれないが、とんでもない話だ。そんな人の料理は食べたくないし、じゃあ自分で作るからお前は台所から去れ、と僕なら言う。 - 料理をする人は、食材の調達から料理、片付け、残飯やゴミの廃棄までの一気通貫のプロセス全ての責任をもつ
必ずしも実行者が全て自分でなければならないとは思っていないが、責任は持つということ。人に指示を出してその人が誤ったとして、その責任は自分が持つというわけだ。 - 「食体験」とは、料理が食事を通じて体内に摂取され、その栄養分が体に影響を及ぼすまでの期間に及ぶ、長期間にわたって体で直に影響を及ぼし続ける体験である。そして料理人はその食体験に責任を持つ。
いまでは食中毒以上に食物アレルギーの方が通りがいいかもしれない。食事の時間自体は楽しく過ごせても、食中毒の原因菌を含んでいた場合。その数時間〜1日後に激しい中毒症状を呈する。また、尾籠な話になるが、激辛料理はその排泄のタイミングに人体にクリティカルな影響を及ぼす。空腹の人は、食事の前後で見違えるように変わる。食事は言葉どおりの意味で人を変える。身体が温まる、疲れがとれるなど、短期的な影響だけでなく、正しい栄養を適切に摂取し続けることで、心身の不具合が改善されていくこともある。
いうまでもないが、料理が体に影響を及ぼす期間中の全てに責任を持つ必要はない。その期間中に料理とは別の原因で体を壊したとしても料理人に責任があるはずもない。ただ、料理人が作った料理が原因である体調不良については責任を持つ必要がある。
そして表裏一体となるべき、料理人の義務。
- 食べてくれる人を失望させないこと
「作るだけでもありがたい」←そんなわけがない。美味しいと思えるものを作れないなら、反省して美味しいと思ってもらえるように工夫し続けなければならない。 - 食べてくれる人を、自分の料理を通じてより健康にすること
美味しければいいというものではない。美味しさは、食べた瞬間のみから導かれる価値ではない。食べている最中、食後、そして次の食事までの時間。この間に、自分の料理が原因で気分が悪くなったり、健康を損ねるようなことがあってはならない。 - 台所は常に清潔を保つこと
食事を作る場所は、決して雑菌や虫の温床にしてはならない。ゴミやホコリ、こぼれた水分や油分、材料のカスなど、できる限り速く取り除かなければならない。 - 調理器具*1、食器*2をすぐに片付けること
場としての台所の清潔を守るのとは別に、これらは義務としてやらなければならない。 - 食材の在庫を管理(購入計画・保守・廃棄)すること
冷蔵庫/冷凍庫、根菜置き場、米置き場、調味料棚、スパイス類の棚、出汁、コンソメ類、小麦粉や片栗粉などの粉類、砂糖・塩などの袋置き場、レトルト・インスタント食品の格納箱、パスタや乾燥麺類置き場、お茶・コーヒー置き場、お菓子置き場、缶詰置き場・・・・etc.
食材は冷蔵庫だけでなく、台所・ダイニングを中心に家の様々な場所に格納されている。これらの食材を、賞味期限内に適切に消費できるように気を配り、賞味期限が大幅に切れたものは適切に処分する。かなり難易度の高い技術であると言っていい。特に生ものの管理は、保存期間が極めて短いために特に難しい。まずは使う分だけ購入することを心がけるしかないし、最低ユニットが既に十分多い場合にはある程度の廃棄は覚悟して購入する。短期的には、出来合いの惣菜や弁当を購入するよりもコストがかかる可能性は高い*3。失敗を通じて、少しずつ成長していくしかない。
全くMECEでなく、漏れがあり過ぎる気もしているが…。