毎日まめご飯。

素人の料理好きによる料理メモ。免責事項:このレシピを参照することでもたらされるいかなる損害にも筆者は責任を負うことはありません。自己責任でご利用ください。

料理をする人の心構えと責任

料理を続ける中で、「料理人かくあるべき」という考えが少しずつ自分の中に構築されてきたと思う。それを一旦まとめてみる。筆者はまだ十分な経験を積んでいない初級者に過ぎず、「料理人」と名乗るだけでもあまりにもおこがましいし、このアイデアは煮詰まったものでもない。今後、さらに経験を積む上でどんどん変化していくものと思う。それでも、記録的な意味で自分の役に立つとは思うので記述しておく。

まずは料理人の心構え。

  1. 「料理をする人」は、家庭を食の側面から支えるマネージャーである
    運転する人が、同乗者を事故から守る責任を持っているように、料理する人は、料理を食べてくれる人の健康を守る責任を持っている。ゆめゆめ「作って終わり」などと勘違いすることなかれ。
  2. 料理を食べてくれる人は、その人の貴重な食事の機会を、自分の料理のために提供してくれる人である
    「作ってあげている」などという上から目線で料理している人がいるかもしれないが、とんでもない話だ。そんな人の料理は食べたくないし、じゃあ自分で作るからお前は台所から去れ、と僕なら言う。
  3. 料理をする人は、食材の調達から料理、片付け、残飯やゴミの廃棄までの一気通貫のプロセス全ての責任をもつ
    必ずしも実行者が全て自分でなければならないとは思っていないが、責任は持つということ。人に指示を出してその人が誤ったとして、その責任は自分が持つというわけだ。
  4. 「食体験」とは、料理が食事を通じて体内に摂取され、その栄養分が体に影響を及ぼすまでの期間に及ぶ、長期間にわたって体で直に影響を及ぼし続ける体験である。そして料理人はその食体験に責任を持つ。
    いまでは食中毒以上に食物アレルギーの方が通りがいいかもしれない。食事の時間自体は楽しく過ごせても、食中毒の原因菌を含んでいた場合。その数時間〜1日後に激しい中毒症状を呈する。また、尾籠な話になるが、激辛料理はその排泄のタイミングに人体にクリティカルな影響を及ぼす。空腹の人は、食事の前後で見違えるように変わる。食事は言葉どおりの意味で人を変える。身体が温まる、疲れがとれるなど、短期的な影響だけでなく、正しい栄養を適切に摂取し続けることで、心身の不具合が改善されていくこともある。
    いうまでもないが、料理が体に影響を及ぼす期間中の全てに責任を持つ必要はない。その期間中に料理とは別の原因で体を壊したとしても料理人に責任があるはずもない。ただ、料理人が作った料理が原因である体調不良については責任を持つ必要がある。

そして表裏一体となるべき、料理人の義務。

  1. 食べてくれる人を失望させないこと
    「作るだけでもありがたい」←そんなわけがない。美味しいと思えるものを作れないなら、反省して美味しいと思ってもらえるように工夫し続けなければならない。
  2. 食べてくれる人を、自分の料理を通じてより健康にすること
    美味しければいいというものではない。美味しさは、食べた瞬間のみから導かれる価値ではない。食べている最中、食後、そして次の食事までの時間。この間に、自分の料理が原因で気分が悪くなったり、健康を損ねるようなことがあってはならない。
  3. 台所は常に清潔を保つこと
    食事を作る場所は、決して雑菌や虫の温床にしてはならない。ゴミやホコリ、こぼれた水分や油分、材料のカスなど、できる限り速く取り除かなければならない。
  4. 調理器具*1、食器*2をすぐに片付けること
    場としての台所の清潔を守るのとは別に、これらは義務としてやらなければならない。
  5. 食材の在庫を管理(購入計画・保守・廃棄)すること
    冷蔵庫/冷凍庫、根菜置き場、米置き場、調味料棚、スパイス類の棚、出汁、コンソメ類、小麦粉や片栗粉などの粉類、砂糖・塩などの袋置き場、レトルト・インスタント食品の格納箱、パスタや乾燥麺類置き場、お茶・コーヒー置き場、お菓子置き場、缶詰置き場・・・・etc. 
    食材は冷蔵庫だけでなく、台所・ダイニングを中心に家の様々な場所に格納されている。これらの食材を、賞味期限内に適切に消費できるように気を配り、賞味期限が大幅に切れたものは適切に処分する。かなり難易度の高い技術であると言っていい。特に生ものの管理は、保存期間が極めて短いために特に難しい。まずは使う分だけ購入することを心がけるしかないし、最低ユニットが既に十分多い場合にはある程度の廃棄は覚悟して購入する。短期的には、出来合いの惣菜や弁当を購入するよりもコストがかかる可能性は高い*3。失敗を通じて、少しずつ成長していくしかない。

全くMECEでなく、漏れがあり過ぎる気もしているが…。

*1:調理に用いた包丁、まな板、ボウル、鍋、大さじ小さじ、お玉、フライ返しなど

*2:食事に使った箸、フォーク・スプーン類、皿、お椀等

*3:調味料類まで含めて考えるとなおさら

棒々鶏

シビレシピに出会った衝撃から、未だに四川料理を毎日作って食べています。

最初にビジュアルだけで惚れたピータン豆腐もついに作ってみました。ピータンの黄身ソース、灰色のソースなのでみかけは微妙ながら、とても評判がよかった。ピータンの黄身、ピーナツクリーム、クリームチーズ、甜醤油、花椒油、白だし、鶏ガラスープの素と、様々な素材が使われており味わいは非常に複雑なのだが、本能的に思わず笑顔になる美味しさなのが毎度思うが四川料理の素晴らしいところ。

今日は棒々鶏を作ってみた。脂の多い鶏もも肉の方がパサパサせずに美味しいのでだいたいいつも鶏もも肉を使うのだが、低温調理でしっとり仕上げる系には圧倒的に鶏むね肉がむいている。もも肉は筋肉の付き方が複雑で場所によって大きさもまちまちなのだが、胸肉は全体に大きい上に組織が均質なので、切って盛り付けるととても美しいのだ。これはもも肉には真似できない。

大きめの鍋いっぱいに水を入れて沸騰させ、そこに常温に戻した鶏むね肉を投入して火を消し、25分間待機する。鍋いっぱいの沸騰した湯は火にかけずに30分放置しても、なお70度程度を保つので、長い時間をかければ鶏肉の中まで火を通すことができる。

ただ、大きめの胸肉だとそう簡単ではない。可能であれば、油温計を鶏むね肉に差し込んで、内部の温度をチェックするとよい。下のサイトによると、「中心温度が63度の状態を30分保つ」ことが必要らしい。65度なら18分、70度なら6分。この数字は料理をする者なら覚えておかなければならなそうだ。恐らくシビレシピのやり方だと、胸肉の中心温度が70度になって6分くらい経つことがある程度保証される時間なのだろうと想像する。ただいろいろ環境があるので、時間を長くしたり、あるいは最初の5分程度は火をつけたまま、沸騰状態を保った状態にしておくなど、工夫が必要になるかもしれない。

 

 

麻辣油

詳しくは「シビレシピ」の「麻辣油」レシピを参照していただきたいが、中華食材店に行かずともスーパーで買える食材だけで作れるのでこれはぜひ一度試していただきたい。材料は、八角花椒*1、唐辛子、にんにく、菜種油。

昨日、これをまた作ってみて、レシピの手順を辿るその一つ一つのプロセスに新鮮な感動を覚えた。「料理」というのは多かれ少なかれそういうことかもしれない。食べるために作るというのは事実だが、自分で作ることはその作る過程自体に感動と喜びがある。殊更、麻辣油はそう難しくもないが、唐辛子と花椒を石臼で磨り潰し*2粉末にするときの香り。八角を油で煮るときの香り。粉末にした唐辛子と花椒に熱い油を注いだ時の泡立ち方とその音。八角、唐辛子、花椒、にんにくが一体となったあまりにも豊かな香り*3。そして出来上がった時の宝石のような美しい透明な赤色。もちろん味も言うまでもなく素晴らしいんだけど、過程のどれもが目に耳に鼻に、五感に対して魅力的で、食べるまでもなく満足してしまった。

和食には、「スパイスの香りを油に移す」という調理法は、あったとしても相当マイナーではないかと思う。私見では、スパイスを活用する文化については和食は完全に大陸と断絶しており、ほぼ日本独自のスパイス/ハーブ(山椒、山葵、和からし三つ葉や山菜類)で独特な世界を構築している印象だ。インドはカレーの国だから言うまでもないが、中国料理もスパイスの使い方にかけてはヨーロッパに決して引けをとらない。もちろん、山葵や葉山椒、実山椒を効果的に活用してはいるのだが、八角やにんにく、唐辛子を使った料理が発達しなかったのは、往時の日本人の好みがあったのだろうかが、少々残念な気もしている*4

*1:花椒も最近はスーパーの中華食材コーナーで買えると思う。

*2:ホールの花椒を粉末にするには、タイの石臼がベスト!ホールの桂皮(シナモン)もあっさり粉末になります

*3:唐辛子はやはりその辛味が目立ち過ぎるゆえに香りが取り沙汰されることは少ない気がするけど、麻辣油では香りが強調される

*4:単に知らないだけの可能性もあるが

『シビレシピ』そして中華料理、凄い(2)

今度は、我々の大好きなクミンが使われている、「鶏拌黄瓜(砂肝の麻辣油和え)」を試してみた。茹でた砂肝をスライスして、麻辣油:花椒油:醤油を2:1:2の割合で用い、クミンパウダー、ピーナツとキュウリ、香菜と和えるだけの前菜的な料理だ。中国東北地方のラム肉のクミン炒め(孜然羊肉)などクミンが使われているレシピは結構ある。花椒と合わせた時にどんな作用をもたらすかが楽しみだった。

砂肝というと、昔自分ではルーウェイの具材に使っていたが、それ以外にあまり使ったことがなく、日本の一般の食卓ではどう使われているのかイマイチわかっていない。見た目からしてクセの強い印象だが、ネギの青い部分、生姜の皮、紹興酒と15分茹で、スライスした砂肝は、内臓でありながら肉の旨味をその強い弾力と共にしっかり味わわせる食材に生まれ変わっていた*1

そして、落花生。中華料理はピーナツを食事に使うのが上手だなあ、といつも思う*2。ピーナツの食感とその脂肪のコクは、これまた麻辣油との相性が抜群なのだ。香菜の強い香りと、キュウリのみずみずしさは、それらの食材と絶妙にマッチして、全体のバランスを整えてくれる。本当に、アーティスティックな料理だと思う。

クミンのエキゾチックな香りも、四川の味わいや砂肝の食感にもよくマッチしている。

冷蔵庫で保存しても、翌日以降も味があまり落ちることなく楽しめるのもよい。調味料の構成は比較的似ている「よだれ鶏」と一緒に食卓に出しても、思いの外被らずに違った味わいを楽しめるのも素晴らしい。

ちなみに、最近発見したのだが、中華だしを使ったワンタンや卵スープに辣油ではなく麻辣油を加えると抜群に美味しい。ワンランクどころかツーランク位アップする印象だ。例えば、白ごはん、よだれ鶏、砂肝の麻辣油和え、卵スープの組み合わせの「四川料理定食」は、中華料理好きでなくともその美味しさと、食を楽しめることへの感謝を味わえる献立かと思う。

『シビレシピ』は、冷菜、鍋、炒め料理、揚げ物、麺料理、ご飯もの、デザートまで、幅広くカバーしているレシピ集なので、全部作れるようになれば、自分だけで四川のコース料理まで作れる(気分になれる)ということ。一品一品作っていけるのが楽しみで仕方ない。

*1:改めて「砂肝」って名前、あんまよくないよなあと思うのだけど。「砂」というワードは、あまり食欲をそそるものではない

*2:落花生の名産地である千葉県は、自分が幼少期から高校まで住んでいた県でもあるが、落花生を菓子にのみ使いがちで、それは必ずしも成功しているとは言えないと思う。もう少し中華料理を見習ったほうがいい

『シビレシピ』凄い

『シビレシピ』を発見してからというもの、毎日『シビレシピ』に載っているものを作ってる。麻辣油、椒麻醤、甜醤油、よだれ鶏カルパッチョ重慶小麺。レシピに配慮があるのかもしれないが、意外に激辛過ぎることもなく、油っぽさもない。それなりに量は使っていると思うのだが、案外あっさり、さっぱりなのだ。花椒油は油の臭さやギトギトさが全くない。油の概念を見直さなければと思う程の、さわやかでキレのよいフレーバーオイルだ。

よだれ鶏はそのタレの美味しいこと。タレを作っていて、そのタレを構成する材料の種類の多さに、これが中国四千年の歴史(子供の頃よく目にしたフレーズ)に裏付けられたレシピなのか…と、ほぼ感動を覚えていた。豆腐にもこのタレはよく合う。昼は普通に焼き鯖定食だったのだが、ワンタンスープに麻辣油を入れたらもう別物になった。見違えるような深い香りに感動…。

そして重慶小麺。まずは肉味噌を作る。挽肉、ニンニク、生姜、紹興酒、ピーシェン豆板醤、麻辣醤、老抽、花椒、鶏ガラスープの素、砂糖、花椒油。

そしてスープは、ラード、花椒油、麻辣油、黒酢、生姜ニンニクペースト、鶏ガラスープの素、塩。これを丼に入れてから、鶏ガラスープを注ぎ、茹でた麺を入れて肉味噌、香菜、白ごまをトッピングして出来上がり。完全にお店の味。黒酢をどの程度入れるのか、ちょっとよくわからなかったけど、少量でも十分美味しい。もっと入れてもよかったのかもしれない。こんなに癖の強い食材を混ぜ合わせて見事に一体化しているのが奇跡のよう。ほんとに凄い。肉味噌はたくさん作り過ぎて余ってしまったので、次は何に使おう。また重慶小麺でもいいかな。

四川料理へのアプローチ

各国料理を作る際に、もっとも重要なものは、「真正なレシピ集バイブル」だと思う。なんちゃって◯◯風レシピ、は、◯◯を知っている人にとってはよいかもしれないが、知らない人にとっては誤解を招く。中途半端なレシピで、「◯◯はこんなもんか」と勘違いしてしまったら誰も嬉しくない。

トルコ料理は本ブログでも何度も紹介している「日本トルコ協会」のレシピページ、タイ料理は「アライドコーポレーション」のレシピページであったり、Pailin's Kitchenの動画、イタリア料理はキッコさんのレシピ本、フランス家庭料理は志麻さんのレシピ本、のように、わかりやすさとか日本人の舌に合うようにとか、そういうこと以上に本場をしっかり反映させたレシピを参考にしたい。

ただ、四川料理についてはそのような"バイブル"をまだ見つけていなかった。前回紹介したサイトは素晴らしかったが、3品しかない。ウェブを流し見した限りでは、四川料理の人気の割に、意外にまとまったレシピがみつからない。

そこで見つけたこの書籍。

シビレシピ エイムック Kindle版 |小薇

小薇さん!先日紹介したページでレシピを紹介していた方。絶賛レビューばかりなのでかなり信用できそう。Kindle Unlimited対象だったのでダウンロードしてみたが、期待に違わずページを開くたびに幸福感。こんなこと、久しぶり。わかるだろうか。ほしかった調味料やスパイスを手に入れた時の、あのワクワク感。その小さな瓶は宝石のように輝いて、ささやかな幸せを約束してくれる。タイトルのセンスはともかく、表紙を開くとそこは憧れに満ちた世界だ。

無料で読めるとは言え、いつなくなるかもわからないので書籍版を早速購入した。届くまでは、まずはKindle版を使って料理を作ってみよう。

四川料理に挑戦

台湾、中国、韓国、トルコ、タイ、ベトナムシンガポール、イタリア、フランス、ドイツ、イギリス?、ブラジル、メキシコ、アメリカ、ロシア、ジョージア、…などなど、これまで世界の様々な国の料理を食べたり作ったりしてきた。美味しさ以上に物珍しさやエスニック感、旅行に行くような気分を楽しんできたが、心の底から美味しい!と思えた料理にもたくさん出会えた。

台湾で飲んだ烏龍茶や魯肉飯、韓国で食べたキムチ、「松記鶏飯」で食べた肉骨茶、タイ料理屋で食べたトム・カー・ガイなどなど、鮮烈な印象を残して長年経っても忘れない味(体験)がある。また、自作であっても、トルコ料理のマントゥ、ベトナム料理のバインセオ、ケイジャン料理のジャンバラヤ、イギリスのフィッシュアンドチップス、韓国料理のビビンバ、台湾おでんのルーウェイ、タイ料理のプリッキン牛肉のチリインオイル炒め、タコス、ザワークラウトなど、我が家の定番となったような料理もたくさんある。

自分が各国の料理を試し続けているのは、そういう出会いもまた期待しているんだと思う。未熟な腕前では衝撃の味を生み出すには至らないが、料理を食べる以前の調理の過程から、それぞれの国の歴史や文化をほのかに感じさせてくれてたまらなく面白い。レストラン並では?と自画自賛できるような美味しいものもできあがることもあり、そういう時には自分の環境が本当に有り難いものだと思える。感謝です。

ただ、最近はややネタ切れ感を感じていた。志麻さんのレシピ本や、スイーツなど、料理自体のネタが切れることはないのだが、「試したことのない外国の料理」という観点ではそろそろ有名どころは一通り試してしまったかもしれない、今後は身近な料理をより美味しく作れるように腕を磨くフェーズかも、と考えていたのだが、そういえば「四川料理」をまともに意識して、しっかり材料を揃えて作ったことが殆どないことに気づいた。麻婆豆腐とか、半分日本の家庭料理化したような料理をレトルトで作ったことはあるが、四川料理のレシピを探して作ったのは唐辛子と鶏肉の炒めを作った一度きりで*1、それ以降は触れてなかった。

そこで、改めて「四川料理」を作ってみようと思った。

自分が住んでいる地域には、中国人が経営している(主に東京に住んでいる中国人のためにやっていると思われる)中華食材店がたくさんあるので、それぞれは小さな店だがかき集めれば豚足やなどの中華食材や中国のソフトドリンクや嗜好品まで、かなり幅広く入手できるというアドバンテージがある。

「泡椒(パオジャオ)」というのは、「泡辣椒(パオラージャオ)」のことで、発酵させた生唐辛子のことを言うらしい。1件目には1kg単位でしか販売がなく、2件目には瓶詰の塩漬唐辛子が売られていたのでそちらを購入。ただ、発酵している感じではないのでちょっと違う気がする。

「麻辣油(マーラーユ)」例えば↓これ。

近くの中華食材店には扱いがなかったようなので、花椒油と辣油を混ぜることで対応。それでいいのか?醤油は、以前同じ食材店で購入していた「生抽」を使用。鶏ガラスープは、有名な「味覇」を使用。

実際のレシピはというと、白身魚と豆腐を蒸して、それに別途作った香味油をかけるだけ、という独特なもの。香味油の方にエネルギーを費やしている印象で、これに似たものといえばサラダとか蒸し野菜くらいだろうか。

そして香味油は様々なスパイスや香味野菜の味と香りが辣油の中で一体化していて素晴らしい味わい。辣油は老干媽の玉ねぎ入りのものを使っているので旨味も抜群。これだけのパワーがあれば、素材はシンプル過ぎるくらいシンプルでも十分。なお、辛さは抑えるために豆板醤は控えめ(レシピに指定の1/3くらい)に使用。

味自体は抜群で、中国の長い歴史が生み出した料理(?)の力に改めて思い知った感がある。唐辛子や花椒の辛さと痺れはなかなかの刺激で、一度にそんなに食べれるものでもないかもしれないが、材料さえ揃っていれば案外手軽につくれるので引き続きいろいろ試してみたい。

*1:ほぼ失敗作で、自分にはまだ難しいと判断した