毎日まめご飯。

素人の料理好きによる料理メモ。免責事項:このレシピを参照することでもたらされるいかなる損害にも筆者は責任を負うことはありません。自己責任でご利用ください。

盛り付けの技術とは

ちょうど一年前に、自分の盛り付けの下手さにさすがに我慢できなくなって、盛り付けについてもいくつかエントリを書いた。それから一念発起…しようとしたのだが、結局のところ中途半端なインスタアカウントが作られたに終わった。ただでさえしょぼいのに、iPhone8のカメラでは、美麗で解像度の高いインスタの写真群の前には太刀打ちできない。

ただ、一年経って、未だに四苦八苦して(…というか半分諦め?て)いる今、思うことは、美しい盛り付けというのは、絵師さんが美麗なイラストを描くのと似て一朝一夕にできるものではないということだ。センスがあればできるというものでもない*1。盛り付けが下手なのはある意味当たり前なので、目標の置き方を少し修正する必要があったということだ。

綺麗な盛り付けのためには前提として以下のようなものが必要になるだろう。

  1. 盛り付けの様々なバリエーションを知識として持っておく
  2. 料理をきっちり用意する
  3. メインだけでなく付け合せも用意する
  4. 盛り付けのための道具、食器を用意し、さらにそれを正しく使いこなす
  5. 実際に理想の形に盛り付けるための器用さ

レシピ集にあるような美しい料理写真は、料理人と写真家のコラボ作品のようなもので、かつてインスタ映えという言葉が流行り今やそれが定着していると思うが、映えのためには様々な地道な苦労があることは誰しも知っている。盛り付けはきれいな写真を撮ることが目的ではないとはいえ、似た努力が必要になることは言うまでもない。

1は引き出しを増やすという意味で、多彩な可能性を思い描けているか、イメージできているかというのはどんな創作やどんなアウトプットをするにしても全く同じだろう。2は当然の前提ながら最も困難である。要するに調理技術が不足しているのに「なんで綺麗に盛り付けられないんだろう」と言っていても笑われてしまう。素材を正しく切れているか?みじん切りをきちんとできているか?火を入れるときに焦がしていないか?あるいは焼き方が不十分ではないか?結局被写体が不十分ではどうしようもないというわけだ。写真の撮り方で誤魔化すことはできるかもしれないが、料理の写真を綺麗に撮りたいのではなく、料理を実際に見て食べてくれる人に、「すごく綺麗で美味しそう」と自然に思われたいということを忘れてはならない。また、「盛り付けを意識した調理」が必要になってくる。例えば野菜を切る時点でそれを念頭に置いているかどうかはアウトプットの差としてダイレクトに表れてくるだろう。提供時にそのままの形で皿に載せるような野菜は、新鮮で汚れがついているのは避けるべきだし、そういうこだわりも出てくるだろう。3に「付け合せ」と書いたが、これは要は買い物をする段階で問われてくる要素でもあるし、4の「道具」に至っては、その日の買い物でどうなるものでもない。また、5は簡単そう(?)で難しい。完全に見本の写真つきのレシピ通りに作ったとしても、見本通りに盛り付けるのは簡単ではない。盛り付けの際に皿を汚してしまったり、料理自体の形を見苦しくさせてしまうことがある。付け合せは完璧にできたのに、メインの料理の盛り付けに失敗して苦労が水の泡になることがある。3,4にも関係してくるが、見た目はさりげない盛り付けも、実は意外な工夫によって実現しているものである可能性もある。そういうことを認識しているかどうかだけでも姿勢が少しは変わってくると思う。

今知りたいのは、生野菜をどう盛り付けるか。例えばベビーリーフ。サニーレタス、水菜。玉ねぎの薄切り。人参の千切り。バジルの葉。

*1:ないよりはマシだろうが