毎日まめご飯。

素人の料理好きによる料理メモ。免責事項:このレシピを参照することでもたらされるいかなる損害にも筆者は責任を負うことはありません。自己責任でご利用ください。

ピーマンと鶏肉の炒めもの

タイトルはこのブログでも何度か紹介した「土井善晴の素材のレシピ」掲載のレシピ。調味料は酒、塩、胡椒だけ。あとは片栗粉、油、水と素材を使うだけで、旨味抜群の一皿に。うま味調味料を使っていないとはにわかに信じがたい旨味。これはもはや「善晴マジック」と言ってもよいのでは…?

鶏もも肉はそぎ切りしてからさらに細切りし、多めの塩(2%程度)と料理酒を加えてよく揉み込み、片栗粉をまぶし、サラダ油を加える。弱めの中火でフライパンを熱して下拵えした鶏肉を入れてゆっくり火を入れる。

火が入ったら一旦肉を取り出し、油を追加して細切りにしたピーマンを炒め、水少量を加えた後に鶏肉を入れてなじませる。普通ならこの後に合わせ調味料を加えて・・・となるはずが、なんとここまでで完成なのだ。

下味に片栗粉を使うこと、炒めた後に水を加えて素材を茹でる点は広東料理を想起させるが、さらに合わせ調味料を入れる手間すら省いて素材の味を最大限に引き出す。ごくごく素朴に見えるレシピだが、感動の一皿であると言えよう。

料理の軸

現在のところ、料理の評価軸は「シンプルさ」(≒ 調理コスト;準備と片付けも含む)、「美味しさ」、「栄養」の3つではないかと思っている。美味しくてもコストがかかりすぎると微妙だし、栄養満点で簡単に作れても、美味しくないとやはりあまり食べたいとは思えない(ただ、もしそんな料理があれば、僕としては頻繁に食べそうな気はする)。他にも「見た目」(美しさ)などの要素も決して小さくないと思うし、「美味しさ」と「栄養」は案外裏表なのかもしれないが・・・

自然の野菜の力というのは実は非常に強力だ。自然の生命はどんなにささやかに見えても決して人間がゼロから作ることのできない、神秘的な存在なのだ。料理はその偉大なる自然の力を人間が摂取しやすい形に変えるいわば儀式といえるかもしれない。

先日甘栗屋で甘栗を買ってそのあまりの美味しさに驚いたことがあった。もちろん甘みは後からつけた人工的なものではあるのだが、その甘さが栗の魅力を最大限に引き出しているのである。甘栗を食べた後にたまたま持っていたペットボトルの清涼飲料水を飲んでみたら、平板で人工的で甘ったるいだけで、全く比較にならなかった。さっきまで美味しいと思って飲んでいたものが、一瞬にして子供の飲み物になってしまった印象だった。

そういえば、大人になって(というかおっさんになって)、例えば「レモン」や「栗」がなぜこんなに広く使われているのかということが、ようやく実感としてわかるようになった。レモンの香りは柑橘類の中ではまるでエッセンスのように完璧だし、栗の癖がなくバランスの取れた(ナッツの一種なのに脂分が強すぎない)滋味深い味わいは他のナッツ類の追随を許さない。

話がそれたが、料理というのは、「自然の味を別の調味料で覆い隠して無理やり食べれるようにする」のではなく「自然の味を壊さないように引き出す」そしてその方が圧倒的に容易に(それでも結局は匠の技が要求されはするのだが)充足感が得られる食事を楽しめるものなんだと思う。自分が日本人だから日本的な価値観に染まってしまっているというのはあるだろうが、素人の料理ほど調味料を無駄に使って「美味しければいい」と開き直っていたりする(確かに本当に美味しいなら全然いいけどね)のを見ると、あまり真似したくはないなと思ってしまうというのもある。